ピエール オヴェルノワ&エマニエル ウイヨン来日セミナー
2018.04.17 Tuesday
4/12にピエール オヴェルノワ&エマニエル ウイヨンの来日セミナーが都内で開催され参加してきました。
ナチュラルワイン界の神と呼ばれるオヴェルノワの来日ということで都内のナチュラルワインを扱うお店の多くの方をお見かけしました。松本のpegさんにもお会いしました。僕もそうでしたが、みなさんも少し興奮気味な面持ちでした。
そして通訳はル カノンでお馴染みのグランド コリーヌの大岡さんが通訳されていました。
オヴェルノワのワイン造りを始めたきっかけや、ワイン造りの価値観、そして現在ドメーヌを継いだエマニエル ウイヨンのテクニカル的な事などのお話が聞けて、予定時間を30分も超えていましたがあっという間の2時間でした。ワインもシャルドネとプールサールを試飲できました。
オヴェルノワはずっと腕組みをしていてエマニエルの話を聞いていました。鋭い眼光ですが、笑うととても優しい笑顔を見せてくれました。エマニエルはシュッとした整った顔をしていてとても真面目そうな優しい感じの印象でした。
オヴェルノワのワイン造りを始めたきっかけなどのお話が聞けました。
オヴェルノワのおじいさんの年代の頃フィロキセラという病気で葡萄畑を失ってしまったそうです。まわりもみんな失業してしまったので、牛を飼ってジュラの代表的なチーズのコンテを作ったりして生計を立てていたそうです。大体の家庭はコンテ造りとワイン造りの混合農業をしていたそうで、オヴェルノワの兄弟はコンテ造り、オヴェルノワはワイン造りの道に進んだとのことです。
おじいさんがプールサール(赤の土着品種)に合う畑を探してくれて、そして良いプールサールを選んでくれたことにとても感謝しているそうです。
オヴェルノワがワイン造りを始めてから醸造学校へ通ったそうですが、そこで亜硫酸を知り使ったこともあったそうですが、亜硫酸を使った自分のワインと、使わない父や兄弟のワインは美味しさ香りが全然違ってそれ以来使わなくなったとのことです。また1964年に一番最初の除草剤が発売され、当時は奇跡の薬といわれてみんなが使っていたそうです。当時デメリットなどは知らされていなかったのですが、オヴェルノワはそれを怪しんで使わなかったなんてお話も聞けました。
よいブドウを育てる為にはよい畑がないといけない、よい畑を作るにはよい根っこがないといけないと言っていました。その為あまり畑は広くできないとのことです。
エマニエル ウイヨンは親の知り合いのオヴェルノワのドメーヌに14歳の時に入ったそうです。当時は亜硫酸無しのワインは不可能と言われていた時代だったそうです。2001年にドメーヌを継いでいますが、ブドウがうまく育たなかったり、申し分なくブドウが育った年は発酵が難しかったり、最初のイメージと違うワインが出来たりするというお話も聞けました。化学を使わない為にはカーヴの温度コントロールなど物理的な事が出来るようにしておくとのことです。
また今だに赤のブドウの除こうはオヴェルノワがやっているそうです。瓶詰の時期などはエマニエルのオヴェルノワとエマニエルの奥さんの3人で話し合って決めるそうです。
ワインは生命が生き生きしていないといけない、何も加えないものは長熟の可能性があると言っていました。
ワインのエチケットにもあるペリカンはアルボワのシンボルとのことです。アルボワにはペリカンの伝説があり、ペリカンは小魚を食べて生きているが、ある時全ての湖で小魚が全く取れなくなってしまった。ペリカンの子達に食べさせる小魚が無く、親のペリカンはくちばしで自分のお腹を割いてそれを食べさせたと、オヴェルノワはその精神でワイン造りをしていると言っていました。
ちょっと文章力がないのでまとまりのない文になってしまいましたが、大岡さんの訳してくれた言葉で書いたつもりです。
オヴェルノワは年齢的にも今回の来日がおそらく最後と言われていたので、とてもよい機会にセミナーに参加させていただきました。
こちらのリンクも参考にしてみてください。
http://unison-wine.com/vignerons/emmanuel-houillon/
グランド コリーヌ ジャポン発行で大岡さん訳の書籍
「ピエール オヴェルノワ 実りの言葉」
もフィーカに2冊ほどありますので、ご興味ある方は是非お買い求めください。
ナチュラルワイン 自然派ワイン ヴァンナチュール